ペコの気まぐれ日記



2002年05月03日
ラッセル・クロウとハリソン・フォードの意外な共通点

ずっと前にラッセルファンタイプには2通りを発見しました。ラッセルファンの中の一つは、純粋に映画を愛していて演技の巧いラッセルに魅せられます。もう一つはハリソン・フォードやメル・ギブソンファンだった達は彼らよりも凄いアクションシーンを巧く演じこなしてその上にセクシーでしかも演技力があるラッセル・クロウに魅せられてしまいます。男臭いばかりだけでなくて、繊細さまで備えているんで、女心をしっかりと鷲掴みしてしまいます。

《ハリソン・フォードとラッセル・クロウの意外な共通点》
(メル・ギブソンもかなり共通点が多いが省きます。)
★身長が近いである。
★スーツよりもジーンズやラフな服の方がよく似合う。
★馬跨りによく似合う。フェルト帽子にとても似合う。
★チャームポイント笑顔。
★セックスシンボルと呼ばれている。映画でのことである。
★仕事熱心で厳しい人である。監督とよく激論する。
★下積み時代が長いである。
★有名になるのに時間がかかる。30代になってから。
★映画の役柄がよく似ている。しかも監督が同じ。
◎リドリー・スコット監督
ハリソン・フォード『ブレードランナー』
ラッセル・クロウ『グラディエーター』
どちらも髪が短くて、苦悩する男である。相手は黒髪の美女。
ラッセルの新作『トリポリ』(原題)が待機される。
◎ピーター・ウィアー監督
ハリソン・フォード『刑事ジョン・ブック/目撃者』『モスキート・コースト』
ラッセル・クロウ『Master and Commander(原題)』
◎ロン・ハワード監督&俳優
ハリソン・フォード『アメリカン・グラフィティ』ではロン・ハワードは俳優として共演してる。
ラッセル・クロウ『ビューティフル・マインド』
◎役柄など
〇精神障害や精神病や狂気
ハリソン・フォード『心の旅』『モスキート・コースト』
ラッセル・クロウ『ビューティフル・マインド』
〇カウボーイ&冒険野郎
ハリソン・フォード『スター・ウォーズ』シリーズ(スペースカウボーイと呼ばれていた。)『フリスコ・キッド』『インディ・ジョーンズ』シリーズ
ラッセル・クロウ『クイック&デッド』『ハマーアウト』
〇アクションや諜報活躍など
ハリソン・フォード『今そこにある危機』『パトリオットゲーム』
ラッセル・クロウ『プルーフ・オブ・ライフ』
〇大学教授
ハリソン・フォード『インディ・ジョーンズ』シリーズ
ラッセル・クロウ『ビューティフル・マインド』
〇武器さばき巧い
ハリソン・フォード『インディ・ジョーンズ』シリーズで鞭使い、『スター・ウォーズ』シリーズでビュームガン使い。
ラッセル・クロウ『グラディエーター』剣使い、『クィック&デッド』早撃ち。
〇ラブコメディ
ハリソン・フォード『ワーキングガール』『6ディズ/7ナイツ』
ラッセル・クロウ『ラフ・マジック』
〇SF
ハリソン・フォード『ブレードランナー』『スター・ウォーズ』シリーズ
ラッセル・クロウ『バーチュオシティ』(???)
〇刑事や警察官
ハリソン・フォード『刑事ジョン・ブック/目撃者』『デビル』
ラッセル・クロウ『L.A.コンフィデンシャル』『NO WAY BACK』
〇法廷
ハリソン・フォード『推定無罪』(やな奴だけど)
ラッセル・クロウ『アンボンで何が裁かれたか』『インサイダー』
〇珍道中
ハリソン・フォード『フリスコ・キッド』『6ディズ/7ナイツ』
ラッセル・クロウ『ラフ・マジック』『NO WAY BACK』
〇逃亡
ハリソン・フォード『逃亡者』
ラッセル・クロウ『グラディエーター』
どちらもかつて栄光があったが、上の陰謀によって囚われて逃げる。どちらも家族想いである。
〇フェルト帽子
ハリソン・フォード『フリスコ・キッド』『インディ・ジョーンズ』シリーズ『アメリカン・グラフィティ』
ラッセル・クロウ『ハマーアウト』『ラフ・マジック』『伝説の白い馬』
〇青春ドラマ
ハリソン・フォード『アメリカン・グラフィティ』
ラッセル・クロウ『ザ・クロッシング』
〇パイロットと悲恋
ハリソン・フォード『ハノーバー・ストリート』
ラッセル・クロウ『ザ・パイロット』

『インサイダー』や『ビューティフル・マインド』でラッセル・クロウと共演したクリストファー・プラマーは『ハノーバー・ストリート』でハリソン・フォードと共演していました。
余談ですが、クリストファー・プラマーは若き日には『ローマ帝国の滅亡』にコモドゥス役として演じておりまして、『インサイダー』の撮影中にマキシマス役オファーされたラッセル・クロウに色々なアドバイスしたそうです。

2002年03月19日
ラッセル・クロウ公式初来日レポート


元々、生ラッセル様と会えるなんてあまり期待してなかったんです。遠い目でもラッセル様の姿を拝見できたらいいなあと思いつつ無理やり会社を休んで行ったんです。
まさか本物のラッセル様と会えるとは思ってもみませんでした。
しかも或るファンの一人のおっしゃる通り一人一人丁寧にサインしてくださったんです!!!
それに『L.A.コンフィデンシャル』の真っ黒い映画パンフを見ると黒いマーカーではサインできないと身振りで言ったり、別のペンを借用して書いたり、必死に押し付ける警備さんの体をいたわってあげたり、まだサインしてないファンを目で探したりする細かい気配りするラッセル様でした!!!ハリウッドスターによるのサインしてくれるベスト10にラッセル様はナンバー6としてランキングされていますが、私からみると間違いなく世界一でしょう。横幕とデジタルビデオカメラとサインしてもらう為のマキシマスの写真とサインペンを持ったままに思い通りすべてやれるかなと不安でしたが、ラッセル様の細かな気配りのおかげですべてやれました!!!!後ろから圧迫されてブレがあったけど、ちゃんとビデオで撮影し、デジタルカメラで写真撮影し、ラッセル様のサインをゲットし、握手までやってしまいました。本当に夢のようでした。これもすべて、或る方の情報のおかげです。生ラッセル様って本当にハンサムで茶金髪でサラサラしていて時々かきあげたりするので、思わず触りたくなるくらいでした!!!悲鳴を上げるもんかと覚悟してたけど、駄目でした。目の前に来て目と目を見つめ合って、もう卒倒しそうになったんです。思わず黄色い声まで上げてしまいました。握手した時のラッセル様の手って本当に弾力があってまるっこいでした。暖かいです。これで一生忘れられないと思います。例え剥げていても太っていてもいつまでもファンであり続けたいんです。

ああ、本当にラッセルファンでよかったと思います。

2002年03月10日
ロード・オブ・ザ・リングとスター・ウォーズの比較論


今日WOWOWにて『スター・ウォーズ』旧3部作の特別編と『スター・ウォーズエピソード1』を一挙放送されていて、やっぱり『ロード・オブ・ザ・リング』との共通点を書きたくなりました。『ロード・オブ・ザ・リング』をこれから観に行く予定されていらしてる方々にはネタバレが大いにありますので、読まないで下さい。

『ロード・オブ・ザ・リング』と『スター・ウォーズ』(以下すべて前者は『ロード~』で、後者は『スター~』とする)

《解説》
ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』は黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』の下敷きだという話は有名であるが、元々漫画『フラッシュ・ゴードン』大ファンで映画化したがっていたそうだ。『アメリカン・グラフィティ』で注目されたが、まだ当時では若くて映画化権を貰えなかった為に、自分でストーリーを作り上げたのが『スター・ウォーズ』という映画になった。でも、『ロード・オブ・ザ・リング』の原作『指輪物語』は50年前に発表され、20年かけて連載されたそうだ。きっとジョージ・ルーカス監督も愛読してたのに違いないと思われたので。(ただし、あくまでも私の思い込みなので、事実とは相違の場合もあるので。)

★公開作品1回目/『ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間』=『スター・ウォーズ/新たなる希望』。
それぞれの副題を観れば解るように長いサガの始まりである。(『スター・ウォーズ/新たなる希望』エピソード4。全部でエピソード9があるはずだったが、ジョージ・ルーカス監督の健康の事情の上で(糖尿病だそうだ。)エピソード6までしか作られないそうだ。旧3部作はエピソード4~エピソード6となっている。)

★主人公/フロド・バギンズ=ルーク・スカイウォーカー。
どちらも美しい青年で両親が不在の為に養父に養われてきた。平凡な生活の中で生きてきたが、いつか旅に出るのを夢見ていた。そして宿命を背負う事になる。

★指輪=フォース。
正しく使用すれば大丈夫だが、欲望や悪意があると暗黒面に落ちてしまう。かなり誘惑が強烈なのだ。
フロドの養父であったビルボは何回か指輪の暗黒面に落ちそうになったが、自戒してる。

★白の勢力と闇の勢力=ジェダイとシス。

★魔法使い・ガンダルフ=ジェダイ・オビ・ワン・ケノービ。
どちらも訳のあり過去を持っているようだ。人間的な弱い面を持っている。

★主人公の兄分的な存在/人間・アラゴルン=ハン・ソロ。
主人公がピンチになった時もいつも助けてもらえる。心強い兄分である。
どちらも初めて主人公と出会う場所が酒場である。

★エルフ族の姫アルウェン=元老院議員でプリンセス・レイア・オーガナ。
どちらも美しい容姿で気が強くて、のちに兄分と愛し合い、未来を誓う事になる。

★フロドの剣=ルークのライトセーバー。
どちらも青く光る。

★敵/魔法使い・サルマン=シスの暗黒卿ダース・ベイダー。
前者はかつて白の会議の主宰者だったが、堕落して闇の魔法使いとなる。後者もかつて優れたジェダイ騎士であったが、ダークサイドに堕落して暗黒卿とよばれるようになる。

★黒幕/サルマンを操る冥王サウロン=ダース・ベイダーを操る皇帝パルパティン。

★ピエロ的な存在/ホビット族・ピピンとメリー=ドロイド・C-3POとR2-D2。

★多民族である/人間・ホビット族・エルフ族・ドワーフ族=ジャワ族・イウォーク族・他にも色々な異星人。

★敵の兵隊/オーク=ストーム・トルーパー。

★モンスター/トロル=巨獣ランカー。

★ファッション/ブラック・ライダー(黒の乗手)=皇帝パルパティンやダース・モール。
どちらも悪のシンボルである黒いフード付き衣装を纏っている。

《番外編》
★俳優クリストファー・リーはどちらも悪役として出演してる。『ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間』と『スター・ウォーズエピソード2/クローンの攻撃』。

★ケイト・ブランシェット扮するエルフの国ロリアンの女王ガラドエリエルのヘアスタイル=キャリー・フィッシャー扮するレイア姫の『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』のエン・ドア星にいた時のヘアスタイル。

まだまだ共通点が多くありますが、キリがないので、ここまでにします。

2002年03月07日
映画『ビューティフル・マインド』を観て(ネタバレあり!)


『ビューティフル・マインド』ネタバレ120%(かなり辛口)

試写会に当選なさった方々を横目で眺めつつ羨ましがっていたら、当選なさった方のおかげでやっと3月7日に中野ZEROホールにて行なわれた『ビューティフル・マインド』を観に行けました。
感想はまず皆様へのレスを後にして1回目の印象として書くことにします。どなた様のご感想と似ているかもしれませんので、その点はご勘弁をなさってくださいませ。
たぶん2回目に観に行ったらまた気が変わるかもしれません。

『ビューティフル・マインド』(以下『ABM』に省略します。)の監督がロン・ハワード監督だと聞いた時にはちょっぴり不安でした。確かに『アポロ13』『バックドラフト』『ウィロー』『バックマン家の人々』『グリンチ』等の秀作や大ヒットを飛ばしてますが、リドリー・スコット監督みたいに芸術的じゃないし、先輩ジョージ・ルーカス監督みたいにストーリーテラーじゃないし(色々な名作『隠し砦の三悪人』や本『指輪物語』や漫画『フラッシュ・ゴードン』のパロディとはいえ、ちゃんと自分でストーリーを作り上げられた『スター・ウォーズ』)だからです。

観たら、思った通り全体的にはマイケル・マン監督の『インサイダー』より劣っていました。何故劣っているかといいますと、『インサイダー』では、解雇されたワイガンド博士の背中が始まり、すべて終わってCBSから去るバーグマンプロデューサーの背中で終わるまとまりのあった巧い演出術がロン・ハワード監督になかったからです。できれば、ナッシュ博士が教授たちの祝福で万年筆をテーブルに置かれる栄誉を得るシーンまで終わってスタッフスロールが始まってくれば良かったのです。ノーベル賞授賞式のシーンが何だか冗長っぽくてリチャード・アッテンボロー監督『チャーリー』の晩年チャップリンが20年ぶりハリウッドに呼ばれてアカデミー賞授賞式に出席して涙を流すシーンとそっくりでちょっと白けてしまいました。それにジェニファー・コネリー扮するアリシアの老けメイクが不自然であまり良くありませんでした。あの特撮映画『ウィロー』や『アポロ13』や『グリンチ』のロン・ハワード監督作品なのかと目を疑いたくなりました。特に『グリンチ』のメイクがとても素晴らしかったんです。どうして老けメイクにもっと力を入れなかったのでしょうか・・・。

でも、ラッセル・クロウとジェニファー・コネリーの熱演ぶりを高く評価したいと思います!!!
『インサイダー』と同じく『ABM』は実際人物をモデルしてますが、『インサイダー』みたいに仕草や外見の完璧なほどまでそっくり真似てるのではなくて、内面を解釈してラッセル・クロウなり演じきるというところがかなり成長されて巧くなっていました。あのかっこいいマキシマスやテリーの面影が完全に消えていて、最後までナッシュ博士だと観る事が出来ました。

サイトであまりにも何回も画像を観すぎて、知ってるシーンばかりについついに目がいってしまいました。あのマッチョなTシャツ姿で授業するナッシュ博士の謎が映画を観てやっと謎を解けました。あれはTシャツではなくて下着でした。(男性下着がTシャツに変えたのは後の1950年代でジェームズ・ディーンから始まったと言われているくらいです。)冷房も無くて蒸し暑い教室なので、省エネのためにシャツを脱いで下着姿になったんだと解りました。でも、マッチョすぎてどうみても数学者にみえなくて可笑しかったけど、洋雑誌に掲載された本物のナッシュ博士の若き日の海パン姿の写真を見るとなんとマッチョでした。すると外見まで本物のとそっくりだったとは感心してしまいました。アリシアのような美女の中の美女まで惚れられるのかとやっと納得できたんです。ま、アリシアがナッシュ博士の天才ぶりに惚れたんだと言えるかもしれません。(私はまだナッシュ博士の伝記本を読んでいないので・・・。
海外ラッセルファンサイトで紹介された本物のアリシアもジェニファー・コネリーの美貌とそっくりでした!)でも、だんだん精神分裂症の症状が酷くなってゆくナッシュ博士を見捨てず、最後までついてゆくアリシアが凄すぎました。ひょっとしたら、ナイチンゲール症だと言えるかも知れませんが。(か弱い男性を見ると母性本能を駆使し、看病したがる女性のことです。)妻であるアリシアが夫婦の営みを要求しても夫ナッシュに拒否されて苛立ってコップを投げて壊すところが、人間的でとても素晴らしかったんです。

原作に書かれているナッシュ博士の男色ぶりを映画では描写されなかったのが本当に残念です。実際人物ナッシュ博士とその奥様がまだ健在なので、実現はできなかったのではないかと思います。『ラストエンペラー』だって、実際の溥儀はゲイで有名なのに映画では直接的に描写されなかったけど、ピーター・オトゥール(『アラビアのロレンス』でトルコ隊に捕まられてレイプシーンがある)が出演しただけで、溥儀はゲイなんだと悟りました。『ABM』ではゲイの描写がなかったものの、幻覚に現われるチャールズは美しい男性なので、これで十分じゃないかと思えました。

CIAのエド・ハリスやルームメイトで親友チャールズとその姪の美少女が幻覚だっ
たと解った時、本当にショックでした。すると、ナッシュは本当に孤独だったかと思
うと、可哀想でした。やっと理解される素晴らしき友人を見つけたと思ったのに・・
・。

ナッシュ博士が初めてアリシアとデートするシーンがロマンチックで一番好きです。
パーティで知事と一緒に写真撮影されるナッシュ博士を見て、自分のハンカチを折りたたんで彼のポケットの中に入れて肩に埃を軽く払うアリシアの動作がとてもしなやかで美しかったんです。肩紐のない黒いドレスを着たアリシアの背中や首筋に思わずキスしたくなりそうなナッシュの目差しや頭の動きを観て本当に胸がドキドキでした。同じ女性である私でも、ジェニファー・コネリーのあまりにも美しさに溜め息するばかりでした。あの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』や『ラビリンス』や『フェノミナ』などでエリサベス・ティラーやブルック・シールズの後継者で世界一美少女だと言われたジェニファー・コネリーは長い間映画に出演してもアイドル的なイメージが抜けないままでした。『レクイエム・フォー・ドリーム』で汚れ役を演じ、演技派女優に成長されましたが、容貌はまだ少女のあどけないが残っていましたが、今回の『ABM』はもう「大人の女」でした。

思わず爆笑してしまったのは、金髪女性無視諭でした。男性たちが目当ての金髪女性を狙うと早くも振られてしまうし、周りの女性に声をかけると女性の自分が金髪女性の代わりだと解ると振られてしまうので、初めから金髪女性を狙わず無視してぞれぞれの男性が周りの女性に接すれば得するというナッシュ博士の諭です。アメリカ男性の金髪愛好家が『紳士は金髪がお好き』という映画まである位で、まだ圧倒的に多くて単純細胞だと言いたくなります。(私生活のラッセル・クロウの付き合った女性って全員金髪なのです!!!その中には金髪が本物じゃない場合もあるけど・・・。)

精神分裂症の治療として体を縛られて電気ショックを受けるシーンが惨くてアリシアじゃなくても胸が痛かったんです。『カッコーの巣の上で』という映画でこういう治
療は知っていましたけど、やっぱり恐ろしかったんです。「チップ」がないと言って腕に傷つける自傷行為も本当に惨かったんです。
ナッシュ博士は精神分裂症だと自覚して受け止めて病気と付き合いながら、ノーベル賞を受賞するなんて本当に奇跡的でした。きっとこれで少しだけでも同じ病気を持っていらしてる方々に勇気を与えるのではないかと思います。

何回でも観に行きたいと思います。

2001年10月28日
ベン・ハーを観て


 東京国際ファンタスティック映画祭で20年以上ぶりに大スクリーンで『ベン・ハー』(劇場ではたぶん4回目です。)を観てきました。チャールトン・ヘストン俳優50周年記念として最高の作品『ベン・ハー』を再上映される事になったわけです。まさか本人が来日されるのではないかとちょっぴり期待してカメラを密かに持ち込んでみたけど、結局挨拶のフィルムを上映されただけでした。
親日派で知らされるチャールトン・ヘストンはよく日本に8回以上も来ました。今回は高齢のせいか、どうかは(テロ問題も含めて)分からないけど、来れないとのことでした。しかし、大スクリーンで久々の晩年のチャールトン・ヘストンの挨拶があって長年ファンであった私にとってはもう本当に感激してしまいました!!!日本での『ベン・ハー』プレミアに来日され、その時、映画史上初に昭和天皇陛下と現皇后陛下がその為に銀座にいらしてたそうで、チャールトン・へストンは緊張してしまい、どうしたら挨拶すればいいのかと担当者に聞いてみたら、前例がなくて分からないそうで、やむえなく握手しただけで終わったそうです。3回もフィルムが途切れてしまったけど、両陛下は冷静だったそうで、チャールトンはおそらく皇居でもよく途切れていただろうと思ってしまったそうです。映技師はもう褪せてしまい、死ぬ思いしたそうです。取り合えずプレミアは盛り上がりました。だから、チャールトンにとっては日本との思い出が深くあって再上映されることになって喜んでいるとおっしゃいました。

いよいよ、オリジナルプリントとして開映され、あの懐かしい序曲の為に5分くらい真っ暗のままでした。あいにく耳の聞こえない私としては早く始まらないかなとイライラしてしまいましたけど。やっと映像が始まりました。うちにはVHSのスタンダード版とワイドスクリーン版とDVDの『ベン・ハー』を持っていますけど、やっぱり史劇は大スクリーンのほうが迫力あって良かったんです!!!(フィルムがオリジナルプリントのせいか古くて時々痛んでいて画像がぶれてしまったけど。)改めて大スクリーンで見てみると、本当に『グラディエーター』とそっくりでした。でも、これは外見だけで、テーマは殆ど別物ですが。ベン・ハー役をオファーされたマーロン・ブランド、ポール・ニューマン、ロック・ハドソン、ロバート・ティラーなどのスターがいたけど、『大いなる西部』のチャールトン・へストンに決まったそうです。今観るとやっぱりチャールトン以外のベン・ハーは考えられませんでした。(うちには無声映画1925年版の『ベン・ハー』のビデオを持っています。1925年版のほうが小説のイメージに忠実でした。小説では確かにメッサラのほうが年上のはずでしたが・・・。)ビデオではあまり泣かなかったけど、今回は違っていました。ボロボロ涙がいっぱい流れてしまいました。メッサラとベン・ハーはおさなじみで、大親友だったけど、メッサラがローマへ行って野心的な方に変わってしまい、誤解より絶交となり、母と妹を獲られて自分は奴隷としてガレー船の漕ぎ手に送られてしまい、その復讐の為に剣闘士及び戦車操者として変身してメッサラの前に立ち上がったベン・ハーは、メッサラを倒して勝利を得たけど、あまり喜ばれていなかったようです。こういうところがたまらなくなり、またまた涙がこぼしてしまいました。かつては美しかったのに、業病に犯されて変わり果ててしまった母と妹はベン・ハーに見られなくて、嘘をついて欲しいと恋人エスターに願う姿もです。(昔の映画では確かに「ライ病」という字幕があったような気がしますが、おそらく差別語の為に「業病」に変えたと思われます。)何だか心まで洗われたような気がして、やっぱりいい映画でした。確かに宗教色が強いけど、最後までイエス・キリストの顔を出さないところが効果あって神々しい感じで素晴らしかったんです。

2001年10月07日
ちばてつや先生講演レポート


 地元(東京都練馬区)の聴覚障害者協会の創立35周年・手話サークルの創立20周年記念合同大会と祝賀会が行なわれました。地元に対して色々な貢献してくださった方々に功労賞を表影する代表者の補助としてやりました。5年ぶりに振袖を着たせいか、やはり疲れましたが・・・。

楽しみにしてきた地元の偉人・漫画家ちばてつや氏がついに記念講演の講師としていらっしゃいました。本当は花束送呈するので、舞台の裏に待機するべき立場ですが、どうしても質疑のコーナーで質問したかった為に私の厚かましい願いがかなって前から2番目の列の右側に座りました。もちろん振袖はそのままでした。すぐの前の席には元・漫画家志賀公江さんがいらっしゃいました。もちろん、挨拶しました。

司会者によって、ちばてつや氏の履歴を簡単に紹介されました。(もう、ここの掲示板の皆様はご存知かと思われますが・・・)『あしたのジョー』『のたり松太郎』『おれは鉄平』などの多くの作品で知られされる漫画家で、長年の執筆活動の中で多くの賞を受賞され本年も6月15日に日本漫画家協会賞や文部科学大臣賞を受賞されました。前に、ろう重複障害者施設建設の為の支援募金カレンダーにマンガジャパンの協力でちばてつや氏の作品の一部を掲載されたことがあります。硬い紹介はここまでにします。

さて、上はチェック柄のネルシャツ、下にはタブタブの白いチノパンツといったラフな姿で登場されました。なんと覚えたばかり手話と指文字で「僕はち・ば・て・つ・やと申します。どうぞよろしくお願いします。」と挨拶されました。「実は生まれて初めて手話を覚えました。教えてくださったのは志賀公江さんです。」とおっしゃいました。講演のテーマは『地域でともに生きる』で、ちばてつや氏が23歳の時に東京都墨田区の借家から練馬区富士見台に引っ越して家を建てた理由はいくつもあったそうです。まず、土地があの時はまだ安かったから、そして、あこがれの手塚治虫の住宅の近くに住みたかったから、それから編集者が西武池袋線の路線に家があると便利で原稿を収集しやすいから、建てた時は石神井公園駅と富士見台駅の真中でどちらも駅は遠かったがいずれは駅が出来るという事でした。昔はまだ若くてあまり財産がなくて、あの時は本当は330万円だったが、出版社から300万円を借りて残り30万円を交渉でなんとか300万円に負けてくれたそうです。いずれは駅が出来ると言われて、同居してた年取ったご両親は楽しみにしてきましたが、いつまでもなかなか新しい駅が出来そうもありませんでした。嘘つきかと思っていたら、33年後に本当についに西武池袋線『練馬高野台』という駅が出来ました。家から歩いてわずかに5分で駅に着きます。しかし残念な事にお父様が出来上がる前に他界されてしまいました。『あしたのジョー』などのいくつかの名作が生まれることが出来たのも練馬区のおかげだそうです。

ちばてつや氏はお金持ちで頭がよくてハンサムな男を主人公にしたくない、描くと疲れるので、今の流行の「癒し」系のダメな男を描くと自分も元気を出します。例え、かつてお金持ちでもある日突然潰れてしまったり、必ず欠点のあるキャラクターを描くのが好きです。

自分の作品には、やはり実際にモデルがいました。例えば、『あしたのジョー』の丹下段平はいつもステココに腹巻、作業ズボンを穿き、禿げ頭に眼帯をつけていつも赤い鼻で出っ歯といった風貌は、墨田区の下町に住んでいた時に周りには昼から酒を飲む労働者が多くいらしてそれをモデルにして描いたそうです。それをおっしゃいながら、黒板に丹下段平の顔を描きました。(私は感激してあまり、早速撮影しておきました!)『のたり松太郎』の松太郎の相棒の田中は実は自分の弟からで、あとは力士の栃錦という方のモデルでもありました。それも黒板に描きました。

生い立ちを語り始めました。1939年1月11日に"地下鉄サリン事件"発生の時に運ばれた同じ東京築地・聖路加病院で生まれました。1歳の時、父親が薬売り(何回も職業を聞いても詳しく答えようとしてくれませんでしたが。)の為に一家で韓国へ渡りました。3歳の時、満州に移ります。ソ連軍が攻撃にくるようになり、慌てて逃げようとしたが、家族が両親、自分、弟、まだ乳のみ子弟がいて、このままに日本へ逃げても日本は廃墟の状態になり生活できるような所ではない、米軍に占領され女性が戻れば強姦され、男性が戻れば収容されリンチを受け、子供は迫害されるという噂が流れ、中国人や韓国人たちは日本人の子供を欲しがり何故かと言いますと日本人の子供は教育を受けているから、育ちやすいと言われるらしく、両親は迷ってしまいましたが、日本へ帰国して食べ物がなくて母国なら死んでも本望だと思えるようになり、断ったそうです。しかし、簡単に帰国できず、1年間も逃亡生活で、着る物が何もなくて毛布があれば2人で羽織ったり、ボロ布を継ぎ合わせて着ていて、ようやく日本へ帰る船があって乗り、引き上げました。1歳の時、韓国へ出発した船に乗った時、見た日本の豊かな緑色を忘れていなくて、帰国してみたいと思いました。中国や韓国は険しい山が多くて木は切られて禿げ山だらけでした。家族全員6人そろえて無事に帰国できたのが本当に運が良かったそうです。ほかの日本人は栄養失調の為に死んでいたり、報復の為に殺されたり、色々とあったのにでした。その体験が漫画を描くのに役に立ています。それを聞いて思わず涙がこぼしてしまいました。ちばてつや氏はこれ以上長く講演するのが苦手なので、質疑ならしゃべりやすいということで終わりました。

そして質疑コーナーが始まり、真っ先に手を上げてしまいました。舞台に上がり、ドキドキしながら「お久しぶりです。マンガジャパン新年会の時に、『ハネ太』という漫画の猫を描いてくださいましたね。覚えていますか?」と手話通訳者の読み取り通訳を通して伝えました。ちばてつや氏は目が輝いて思い出したようでした。(こちらは厚化粧して振袖を着ていたので、別人のように見られたらしいです。)「で・・・・・、ちばてつや先生の描く下町の風景が大好きです。」(あがってしまい、言葉を失ってしまったけど)「すみませんでした。緊張してしまいまして。えーと、故人となった梶原一騎氏との力石徹の身長をめぐる口論があったそうですが、他の事もよく口論があったのでしょうか?」と質問しました。「原作者は文章を書くだけで、キャラクターの容貌はまったく書いていなくて、名前だけでした。力石はリンクの中に聳えたつと書いてあったので、ジョーよりも頭1つ背が高いだろうとイメージが思い浮かび、こうして描いたわけです。私のせいではありません。詳しく書いてない梶原氏が悪いのです。でも、ボクシングのルールは同じくらいの体重同士に試合するなんて知りませんでした。力石の大きな容貌のままに描いて連載が始まりました。そしたら、梶原氏は慌ててしまったらしく私に直接に文句を言わず、編集者をかなり叱ったそうです。だから、力石に痩せてもらったわけです。連載開始の頃は意見相違により、ずれ違いでしたが、だんだんお互いに理解しあうようになってから、一度も喧嘩する事がなく連載が終わるまで巧くいきました。」と応答してくださいました。「どうもありがとうございました。『あしたのジョー』がもう最高で、既に10回以上も繰り返し読んでいます。」と言ったら、ちばてつや氏は「ありがとうございます。」とおっしゃってくださって、私が舞台から降りようとしたら、また、ちばてつや氏は思い出したかのように語り始めました。「さっきに言われた『ハネ太』のことだが、これは練馬区で起きた事です。自分の家族や練馬区の住民や色々な人を描きました。練馬区を取り上げた作品はいくつかがあります。『練馬イタチ』もそうでした。僕の家にある日突然にアシスタントになりたいと言って訪れた変な男を主人公にして描きました。」とおっしゃいました。私はもっと他の方の質問も聞きたかったが、もう花束を贈る準備の為に舞台の裏へ戻らなければならなくなり、泣く泣く席を立ちました。さっそく舞台の裏へ戻って、他の質問や応答を見たくて幕の裏に覗き、聞きました。やっと質疑コーナーが終わり、ドキドキしながら花束を贈りました。そしたら、ちばてつや氏は又かと言いたかったような顔がしていらしてました。もう一人は婦人部のちばてつや氏の似顔絵刺繍入り手拭いと手作りピエロ人形とカギカバーを送りました。ちばてつや氏は喜んでいたらしく刺繍された手拭いを顔に覆ってくださるお茶目な面を出してくださいました。すぐに私は振袖を脱ぐ為にさっさと更衣室に戻りました。その頃、協会の阿波踊りの団体があって舞台で踊りを披露されました。その終わり頃になんと、ちばてつや氏も舞台の上に上がり、踊ったそうです。残念な事に私は見逃してしまいました。着替え時間がかかってしまい、間に合いませんでした。福引抽選会が行なわれ、ちばてつや氏がくじを引いてくださいました。協会とサークルからの賞品が次々と引いてゆきました。ちばてつや氏の直筆イラスト入り色紙5枚も出してくださいました。漫画マニアなら欲しがるほど、凄いものばかりでした。私は残念ながら、当たりませんでした。(うええええ~ん!)大会がすべて終わり、ちばてつや氏が席を立ち、去ろうとしました。私は追いかけて握手を求めました。ちばてつや氏が「また会いましょう」とおっしゃってくださいました。私は感激のあまりぼ~としてたら、後ろから志賀公江さんが肩たたきして、「写真を一緒にとって貰ったら?私が取ってあげるからね。」と言ってくださいました。でも、参加者たちがちばてつや氏を囲まれてしまい、なかなか来賓室に戻りそうもありませんでした。志賀公江さんが来賓室で待ったらどうとおっしゃっていらして、好意に従って待ちました。やっとちばてつや氏が現われました。でも、協会会長のお礼があって、ちょっと待って、他の子供たちにサインをやって、私の番になって名前だけのサインをしてもらい、ツーショットを取りました。もっとおしゃべりしたかったけど、お疲れのようなので、止めときました。

2001年09月08日
ニュージーランドの旅2001年9月8日~16日


 2001年9月8日に待ち待ったラッセル・クロウの生まれ故郷であるニュージーランドへ行く為に妹と一緒に羽田空港から出発し、関西空港にて国際線の大韓航空に乗り継ぎ、ソウル空港にてニュージーランド行きの便を待ちながら、ずらり並んでいる免税店をぶらぶらして回ってみたら、早くもVIDEO-CD『グラディエーター』を見つかり購入した。(日本円でなんと1200円!安すぎる!)そして大韓航空で翌日の9日にニュージーランドのオークランド空港にやっと着いた。

 日本人の旅行代理店の方が出迎えしてもらい、この方の車でちょっとだけ市内見物した。ワントゥリー・ヒルというところに連れてもらい、高いビルを建てることなく、オークランド郊外を遠望する事が出来た。この日は日曜日のせいか、犬を連れた散歩やスポーツを楽しむニュージーランド人が多かったのである。ああ、ニュージーランド人って動物や自然と共有して生活してるだなあと感心してしまった。ニュージーランドは寒いから厚着した方がいいよと会社の同僚のアドバイスされて厚着してみたら、思ったよりも気温が高くてポカポカ暖かくて、暑くなり脱いで半そでのTシャツの姿にした。ニュージーランド一美味しいソフトクリームを奢ってもらい、まろやかに味わった。日が暮れて始まるとだんだん寒くなってきてジャンパーを着た。それなのに、ニュージーランド人たちはまだ半そでか薄着のままである。夜になって旅行代理店の方の薦めてくれたレストラン店の前まで寄ってみたけど、パブの雰囲気のせいか、何だか高そうなので止めといて、そのすぐそばにあるイタリア料理店で夕食を済ませた。あまり美味しくなかったけど、ウェイトレスさんがとても親切そうだった。シティホテルのベッドに倒れて朝まで爆睡した。

 10日の朝、ラッセル・クロウのルーツであるニュージーランド先住民族マオリの文化が根付いているロトルアへ向かってバスで出発した。ニュージーランドの景色といったら、本当に向こうから向こうまで延々と人工的で緩やかな緑色が続き、夥しい牛や羊が草を食っておった。(100年以上前の開拓民の努力の賜物で荒れた地を美しい農場に変えたそうだ。)その途中でワイトモに下車して鍾乳洞とツチボタル(鍾乳洞の暗い天井にて生息する珍しいハエの仲間の昆虫のひとつで幼虫から発光する美しい青い光が見られる)見学した。

 やっとロトルアに着いた。レインボー・スプリングス(虹の泉)というところに寄り、いろいろなマスがその池にて泳いでおり、それから野鳥のコーナーに行ってニュージーランドしか生息しないキーウィという野鳥も見た。(まるで日本の上野動物園で過保護気味のパンダ並に真っ暗の部屋で飼育されていて、あまりはっきりと姿が見られなかった。姿は正に「キーウィ」という果実の形とそっくりなのである。)そのすぐそばにあるレインボー・ファームに行って牧羊犬によるの牧羊の仕方や牛の乳搾りや羊の毛刈りショーが行われおり、楽しく見物した。ショーのお兄さん(?もう年は食っているけど、けっこうハンサム!)は羊の毛を刈る為にタックトップの作業姿になり逞しいむっちり二の腕を披露していて、思わず「さすがニュージーランド人らしいだわ!」と心の中で叫んでしまった。

 オヒネムツ・マオリ村と呼ばれてる所に着き、マオリ人による伝統の挨拶ホンギ(お互いの鼻を軽く押し付け合う。)を歓迎として受けるはずだったが、遠慮してか、お辞儀しか挨拶できなかったのが残念だった。真っ赤に染められた木彫りの門や飾りが神秘的だった。その近くにはファカレワレワ地熱地帯があって泥の中から温泉が噴出していて、白い湯気がモクモク湧いていて硫黄の匂いが漂っていた。まるで日本の箱根の温泉街にいるような気分だった。同行してた観光客たちはここで別れ、オークランドへ戻り、妹と私はロトルアに残った。

 その夜にはマオリ・ショーを見るためにホテルのワゴン車でバイキング形式の料理とショーの行われてるホテルへ連れてもらった。集まっているのは何故か日本人や中国人や韓国人などのアジア人ばかりだった。丸いテーブルは団体客専用らしく、殆ど席を占めていて、私たちは隅っこのテーブルに案内され、韓国人の家族と一緒に同席した。ラッセル・クロウ的な超ハンサムなマオリ人が酋長風民族衣装を纏って司会として舞台に立った。亜麻の葉によって作られたふんどしやスカートを履いていて(アンダーとして黒いパンツやスカートを履いているが・・・)女性の髪には羽根と鉢巻きを付けていてアメリカのインディアンと思わせた。男性は上はもちろん裸で下には亜麻のスカートを履いていた。昔のマオリ族は上から下まで全身に刺青を彫られているはずだが、現代人なので、腕にワンポイントしか彫らなかった男性がいた。恋歌から舌がぺロリ出す激しいものまで伝統的な音楽や踊りの色々なマオリの文化が披露された。マオリ男性全員をラッセル・クロウに重なって見えてきて興奮してしまったなんて私って大馬鹿かもしれないが・・・。痩せていた頃のラッセル・クロウはあまりマオリ族の血が流れてるように見えないが、『ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』の時から発達した逞しい肉体美になってから、欧米人には見られない魅力的なのもマオリ族の遺伝子のせいだったかと判明した。(確かにこの掲示板の常連さんクター様のラッセル論も既に書かれてるが・・・)同席した韓国人家族の事も触れたいと思う。どの国に行っても、いや、特にアジアでは日本人だと言うだけで一瞬強張ったような表情して無理に笑顔を作られてるような感じだったけど(ま、昔の嫌な日本軍のイメージが強かった為に嫌われる立場なのだから、しかたがない。)、その韓国人の家族は違ったのである。とても素朴でひょうきんな人ばかりだった。だんなさんはとても面白い人で言葉は通じないけど、身振りで話が通じた。その奥さんはとても韓国美人なのに、威張らずそのひょうきんなだんなさんを立てたのである。バイキングから沢山のレタスを皿にとってビーフをも沢山取っておいて、席に戻り韓国料理風にレタスの葉の上にご飯を載せてサラダも載せ最後にビーフを載せて巻いて口に入れる。それを見て私たちは美味しそうに見えた。奥さんはだんなさんの食べ方に合わせて皿にレタスの葉を盛り付けてドンと置いてあげたようだ。私たちの年齢を聞かれて、「どう見える?」とジェスチャーで言ったら、「二十歳と23歳?」と言ってくれた。私たちはお世辞とはいえ、若く見られて嬉しくて違うと言ったの。メモに「XX、XX。19XX年生まれ」と書いて見せたら、韓国人たちは驚いたような顔だった。向こうも若く見えて「37歳?」と言ったら、「違う、もっと上だよ」「ウソォー!40歳?」「うん」と言われた。でも、西暦の方式で年齢を聞いてみたら、やはり1~2年くらい年齢を増やしただけだったと分かり、私の言った事は当たりだった。その娘さんたちは2人ともメガネをかけているけど、親に似てとても可愛くて私たちに懐いてくれた。最後にはマオリの伝統挨拶でご夫婦ともやって別れた。一期一会とはいえ、このような素晴らしい出会いに感激してあまり、涙がこぼそうになった。ああ、思い出した。名前を聞くのが忘れていた。

 11日の朝、ロトルアからバスでタウポヘ移動した。そのバスに乗る前にラッセル・クロウのジョキングなどで着る愛用のニュージーランドのシンボルのシダの葉のロゴマークのついたオール・ブラックスというラクビーチームの半そでシャツを見つかり購入した。(前にラビット様のおっしゃったオール・ブラックスのスポーツウェアのメーカーは「adidas」だけでなくてニュージーランドの有名なメーカー「canterburyカンタベリー」も使われているらしい。)タウポのバスターミナルに降りて暫く待っていたら、モーテルの日本人オーナーが車で出迎えてくれた。モーテルに着いてみたら、映画『サイコ』と思わせる一階建てだった。温泉もそれぞれの部屋に付いていて、オークランドに戻るまで毎晩温泉に漬かった。

 12日の早朝に起き、世界遺産であるトンガリロ国立公園の中のもっとも高い山ルアペフにあるファカパパスキー場へ専用のワゴン車で行った。もう春なので、スキー客は減少されるとばかり思ってたが、違っていた。かなり混んでいた!学校の体育の授業でやってくる子供が多くいらしてにぎやかなスキー場だった。憎たらしくても可愛い金髪や茶髪のニュージーランド人子供たちを見て、もしかしてラッセルが小さい時授業でスキーをやってたのではと想像してしまった。一応久しぶりに日本の室内人工雪スキー場で練習してきたけど、雄大なスキー場は生まれて初めてなので(学校で長野スキー場でやったことがあるけど、プライベート的なゲレンデなので・・・。北海道のスキー場にも行った事があるけど、あれはまだ幼くてソリーしかやらなかった。)ドキドキしながらスキーライセンスの持っている妹に金魚の糞のように付いてリフトに乗った。緩やかなゲレンデなので、私でも出来ると思い、滑った。何回か往復して疲れたので、ロッジにて一休みして早いけど、昼食を済ませた。その時に中学生くらいの子供たちがわぁ!とやって来てツララを壊して舐めたりいたずらっぽく騒いでいた。私たちを見てそっと残りのツララを置いていった。それを見てうふふっふと可愛く思えた。さて、妹が上へ行くかと言われてT型リフトに乗ってみるのはいいけど、巧く捕まえず先に妹が途中で降りてしまい、巻き込まれて私も降りてしまったのだ。そのゲレンデは初心者である私の目から見るとかなり板が急に見えて怖くて滑ることが出来なくて泣きべそをかいてしまった。暫くの間、座り込んだままだったけど、気を静めて立ち上がろうとしたけど、腰が抜けてしまったらしくガクガクしたままだった。もうこれ以上滑るのが無理な状態となった私を見て妹はやむえず私のスキー板を外し担いでリフトのある上へ登ってそれから下へ降りた。その時にスキー場のまわりの山脈といったら、世界遺産と言われるだけであって素晴らしい眺めだった。ニュージーランドって全世界の自然を独り占めして集まったような感じで感動してしまった。初心者コースのゲレンデのところへ行って私なら何とか巧く滑れるような気がして可愛い子供たちと共にたっぷり滑れた。ラッセル・クロウとそっくりな男性を発見したのはいいけど、スキーの腕の方はとても下手くそだった。本物のラッセルなら運動神経が優れていて下手なわけがないけどね。(Heidi様の命名された三平へアをしていてそれを後ろに撫で付けて不情髭がはやしていて黒いサングラスをつけていて容貌はちょっと太めなので、本当に似ていた。ああ、写真を撮ればよかったかも知れないが。)妹よ、ごめんね。本当はもっと滑りたかっただろう。それが終わってスキー板やブーツやストックを返しにロッジに戻って、水を一杯でも飲もうとして食堂に行ってみたら、大画面テレビの前にスキー客が大勢いて真剣そうに見ていた。 何があったかなと思い、テレビを見た。まだ英語字幕が表示してなくてどの国かは分からないけど、瓦礫化となったビルの前に立つ消防官が立ているシーンを見てどこかで大地震でも起きてしまったのかなと思ってた。久しぶりに運動したので、モーテルの温泉風呂につかしてスーパーマーケットで食材の買い物をし、レストランで食事した後、ぱったりと死んだように寝てしまった。(そのスーパーマーケットでラッセル・クロウの愛飲なさってる「VB」ビールを見つかり感激して写真撮影やビデオ撮影までしてしまった。本当は1本だけなら買おうと思ったけど、分売してもらえなくて。6本入りの缶ビールや1ダースの瓶ビールしか売らなかった。タウポではオークランドでもそうだったが、商店街の全てはパブやレストランやスーパーマーケットを除いて午後5時から6時までに早く閉めちゃうのだ!もう閉めている不動産の張り紙を興味しんしんしながら値段を見たら、安給の私でも簡単に買えるくらい値段だった。妹が電卓をバッグの中から取り出して計算してみたら、不動産の人がやってきて「要りますか?」と身振りして言われて「いえ、要りません。」と慌ててしまった!閉めているはずなのにまだいたとはびっくりしてしまった。)

 13日の朝、第一希望だった熱気球によるの空の見物は人数不足により中止され、第二希望であるスカイダイビングに行く事になり、専用のワゴン車を待ってみたら、日本人のオーナーがやってきて「アメリカで起きた事、知っている?」と言われて、妹が「ああ、大地震や爆弾でも起きたでしょ?」と言ったら、「ううん、違うわ。書いてあげる」と言われながら、メモ帳に二つのビルの形を描いて飛行機が突き、爆発して崩れてしまったのと説明され、ニュージーランドの朝刊を持ってきてくれた。それを見て私たちは震え上がってしまった。もう迎えの車が来て急いで乗り、朝刊の写真記事を眺めた。昨日のあの放送はアメリカのニューヨークの世界貿易センターとワシントンの国防省に起きた事だったかと。日本語の情報がなくて、まだまだ事件を把握できないままにスカイダイビングの行っている所に着いた。せっかくだから、ビデオ撮影つきのスカイダイビングを申し込んだ。私の重い体重も書かなければならなくて恥ずかしながら、XXキロと正直に記入しておいた。高所恐怖症である私たちは本当に飛べるかなと不安だった。いよいよ私たちの番になってきてスカイダイビング用服を着て身支度して、インストラスターと顔合わせする。私の組むインストラクターはやはり私の体重に合わせたかとように長身の男性だった。(けっこういい男だった・・・。)ビデオカメラとカメラの係の人にパチパチと写されながらセスナ機に乗り込んだ。凄く不安だったけど、一生一度の冒険なのだからと開き直って空元気一杯でいた。インストラスターとぴったりと背をくっつけてベルトでしっかりと引っ張られた。体温や息が体に伝えてきて自分まで合わせて息してしまった。まず妹たちが飛び降りて、私の番になって怖がったり考える暇もなく、すぐに飛び降りたのだ!空気の抵抗があって顔をひきつけたままだったけど、何故か快感だった。すぐ目の前にはカメラ係がいて、ニコリと笑顔を作ったのはいいけど、まだひきつけたままなので表情が変えなかった。そして急下降してすぐに上にベルトが引っ張られたかと思っていたら、パラシュートが開いた。私の足がちゃんと空にいたままで、本当に飛んでいる!と猛烈に感激してしまい、タウポの美しい湖や全景を眺める事が出来た。インストラクターに右を見たいとジェスチャーで聞いてみたら、応じて右の方に回ってくれた。左と言ったら、これも応じて回った。高所恐怖症だったはずなのに、こんなに余裕に楽しめたなんて自分でも信じられなかった。インストラクターの指示に従って足を曲がって地面に降りるようになったときに足を出して巧く着地する事が出来た。妹の方は目眩がして腰が抜けてしまったようだ。(撮影されたビデオは残念ながら、イギリス方式と同じ仕様だった為にマルチビデオデッキでないと再生できないのである!も!お金を返して!)

 モーテルに戻り、テレビを見たら、やはりずっとアメリカの大惨事ニュースばかりだった。重い気持ちのままで手作りの簡単な昼ご飯を済ませ、午後からタウポの名所見学に出発した。私と同じくらい日本人女性が一人旅をなさっていて、分かっている範囲だけで筆談で通訳してくださった。ホカ・フォールというのは、湖から狭い峡谷を流れてきたワイカト川の流れはここで一気解放されて青く澄んだ水色が白い泡になって広い滝壷に広がっていくところで、観るだけでも圧巻されてしまう。それからアラティアティア・ラピッズというダムのところに急いで車で駆けつけて時計の針が2時に指すとダムの扉が開いて一気に水が放流され下流となっている峡谷を通してだんだん水量が増やしていくところがとても美しかった。ガイドさんの説明によるとタウポ湖の周りの川をダムで仕切って時間になると放流されその時の水力を利用して発電するとのことだった。世界第2位を占める最大のニュージーランドのワイラケイ地熱発電所にも行った。まるで無声映画『メトロポリス』と思わせる白い煙が漂う夥しいパイプ群を見て何ともいえないほど素晴らしかった。ニュージーランドって自然を巧く利用して生活してるだなと感動した。(同じく火山地帯である日本もこのような自然を巧く利用してたらいいのにと・・・。)ワイラケイ・サーマル・バレーという地熱地帯へ行って地下から噴出すドロや岩や温泉を見た。いつ地面から噴出すかもしれない状態なので、インディ・ジョーンズの冒険のようにスリルを味わいながら地面の上に置かれた木の板を歩き回った。その後、名物であるハチミツセンターに行って色々な蜂蜜を味見して生姜入りの蜂蜜が一番美味しかったので、家族へのお土産として買った。
 
 あの「VB」を思い切って買うから行こうと妹に言われてスーパーマーケットに寄り、6本缶ビール入りのものを買った。まだ午後5時前なので、店が開いていて、ぶらぶらと回ってみた。ビデオレンタルショップへ寄ってみると、地元だけであってやはりラッセル・クロウ主演映画『プルーフ・オブ・ライフ』やサム・ニール主演映画のポスターがでっかく飾られていた!ふっとインターネットカフェの店を見つかり、日本語ソフトがないのだから、巧くサイトを覗けるかなと思いながら、入った。妹の指示通りに操作をしてみたら、どれも文字化けが出てしまい、店員に文句を言ったら、べつのパソコンでヤフー!のサイトを巧く開いてくれた。でも、日本語ソフトがないので、日本語を読めても日本語で入力できない事になっていて、英語の苦手な私でもちゃんと「RUSSELL CROWE」と入力できた。(馬鹿馬鹿しいけどね。)そしたら、色々なラッセルファンサイトのURLが出ていて、全部開いてみたけど、文字化けのままでダメだったけど、この掲示板はどうかなと思っていたら、ちゃんと日本語のままに表示できた!感激して、ローマ字だけで「NYUZIRANNDO KARA KONNNITIHA!・・・」と入力してすぐに消え、アメリカの大惨事の日本語ニュースを見たくて新聞社のサイトを開いて読み、インターネット使用代が予算オーバーになりそうなので、すぐに止めといた。(皆様へケチな私たちの為にすぐに返事して下さったのに、レスを読めず消えてしまって本当に失礼致しました。)既に連続三晩も通ったお気に入りパブ兼レストラン店に寄り最後の名物カスタードクリームのかかったチョコケーキとおいしいコーヒーの味を楽しんだ。空が真っ暗になってまだ少しだけ曇っているけど、南十字星がキラリと光っていて魅せられてじっくり見ようと言ってモーテルに戻り厚着してマフラーをクルクル回って毛糸帽子を被って敷物を持ち出してモーテルの向こうにある広い芝生の真中に行って15分ほど星空を観測した!

 14日の朝、気に入ったタウポに別れを告げてオークランドへ向かって出発した。午後3時半頃にオークランドのシンボルであるハラーズ・スカイ・シティ・カジノ&スカイタワーの下に到着した。9日と同じシティホテルに荷物を置いて、市内で散歩しながらウィンドーショッピングを楽しんだ。『プルーフ・オブ・ライフ』のポスターの貼っているレコード店を見つかり、もしかしてもしかしてと思い、VHS&DVDコーナーのある2階へ上がってみた。やはり『グラディエーター』のポスターが貼ってあった!DVDのところを見ると簡単に『プルーフ・オブ・ライフ』を見つかり、ケースのデザインが日本のとあまり変わらなくて興味が失ってしまい、VHSの方はどうなるかなと見回ったら、『インサイダー』のケースがあった!中身は盗難防止のためにか抜いてあった。これも凄く欲しいけど、私の目的をずれてしまうので、我慢して『グラディエーター』DVDが置いてあるかとジェスチャーでプレステ2で遊んでいる暇そうな店員に聞いてみた。もう売切れだよと言われた。がっくりしてもう一度VHSコーナーの方に見たら、なんとなんとでっかい箱入り『グラディエーターコレスターズBOX』があるではないか!!!英文の苦手な私でもセットの中身の項目を理解できた!「メイキング オブ ブック」「CDサウンドトラック」「ワイドスクリーン版VHS」「35ミリフィルムCELL」を見て思わず興奮してしまった。私の持っていない珍しい映画フィルム1コマが入ってるようだ。やっぱり欲しくて例え日本でビデオデッキで再生できなくてもいいと思い、購入してしまった!筆談で「TOFOG」をその例の店員に聞いてみたら、なんとバンドのフルネームで「THIRTY ODD FOOT OF GRUNTSで、このグラディエーターの主演を演じたRUSSELLのCD?それなら下のショップにありますよ」とぼんやりしそうな青年からきちんとした答えるとは思ってみなかった!さすがラッセル・クロウの生まれ故郷だけであると何故か感動したのである。下に降りてみて、ドキドキしながら上の書いてくれた英文を見せたら、ロックバンド風の(『バッファロー'66』のギャロ風の)店員が現われ、ラッセル率いるロックバンドに詳しくないとばれたらどうしょうと思いながら、置いてあるコーナーまで案内してもらった。そしたら、日本で通販で買った「bastard or clarity」CDを出してくれた。私は「いえいえ、違う。べつのCDはないかな?」と聞いてみたら、任せといてとでも言いたいようなジェスチャーで言われてべつの在庫の引出しを出して探してくれた。同じCDが出してくれた。私は「NO!べつの曲のものが欲しい。それとDVDはないかな?」と言ったら、店員は「いいえ、これだけです。申し訳ない」とジェスチャーで言った。結局べつの曲が見つからなかったけど、さすがニュージーランドだけであってちゃんと店頭に置いてあるなんて・・・。オークランドの商店街って本当にアジア系の方が大勢いて、あまり海外にいた感じはしなかった。オール・ブラックスのスポーツウェアをまだ買いたくて専門店に寄ってみて、パンツが凄く欲しかったけど、どれもサイズが大きすぎて止めて、キャップ帽子とフリーズジャンパーを買った。もうパンは飽きたので、ご飯のあるアジア料理を食べたくなり、地下にある色々なアジア料理の店がずらり並んでいるところに行ってマレーシアの麺類と中国の揚げ餃子を食べた。まだ時間があったので、映画でもみようと、妹と一緒に日本のマイカルとそっくりな映画館を複合した会館へ行って、どれを見ようかなと迷ったけど、日本語字幕がなくても楽しめる映画『ジュラシック・パークⅢ』(ニュージーランド繋がりとしてニュージーランド人であるサム・ニール主演映画)に決まり、(本当はもうセリフを丸暗記してしまった『A.I.』を見ようと思ったが、満員だった・・・。)夜9時20分から開映された。それにしてももう夜9時を過ぎているというのに子連れなさっている家族が多く見かけた。日本ではとても考えられない現象だった。外国なので、うるさく騒いでいるだろうと期待してたが、案外と大人しく鑑賞してたようだ。見終わって裏の出口を出てみたら、渋谷の不良少年と思わせるガラの悪そうなストリートボーイが大勢に集まっていて、ちょっと危険だと思い、べつの表の出口を出た。ホテルの部屋に戻ってもまだアメリカの続報として放送され、まだ行方不明となった家族の写真を持つ市民の映像を見て思わず涙がこぼしてしまった。

 いよいよニュージーランドの最後の15日の朝を迎え、午前から午後にかけてオークランド博物館の展示をじっくり見物した。先住民族マオリの文化と歴史だけでなく、隣国の諸島の先住民族の衣装や道具なども展示され、とても興味深かった!マオリ・ショーの時間になってきて見たけど、ロトルアのマオリ・ショーに比べてやや見劣りするが・・・。ニュージーランドの歴史や文化も展示されていた。珍しいことに、2階には子供の為の理科などの自由研究コーナーがあって大人でも楽しめた。私の大好きな恐竜の骨も展示され、あの巨鳥モアの剥製や骨まであったのだ!面白すぎて時を経つのが忘れてしまうくらいだった。3階には私が生まれて初めてみる第一次世界大戦の展示があって、チャップリン監督&主演映画『担え銃』や『西部戦線異常なし』やピーター・ウィアー監督の『誓い』(メル・ギブソン主演映画)の戦争の空しさが思い出され、胸がいっぱいになり泣いた。そして第二次世界大戦コーナーに行って、さらに気が重くなってきた。『戦場にかける橋』『戦場のメリー・クリスマス』『アンボンで何が裁かれたか』の日本軍の残酷さを思い出され、同じ日本人として恥ずかしいと思った。ゼロ戦闘機を実際に展示され、「幸運な戦闘機」と日本語で説明してあり、その戦闘機に乗った日本人パイロットはこれ以上戦争をよく思っていないらしくて特攻機として使用する為に整備しろと命じられたが、わざと整備を遅らせて終戦を迎えてしまったものだそうだ。日本人を悪く言われてもしかたがないと覚悟の上で展示をみたつもりだが、このような文にはまるで日本に対してゴマすりでもしたいのかと思えるくらいなので意外であった。その博物館の3階の慰霊ホールがあって壁面にはアルファベット順に戦没者の名前がずらり刻まれている。ラッセル・クロウの親戚かもしれないRUSSELLとCROWEといった名前も多く刻まれていた。その大勢の戦没者は日本軍に殺されたかと思うと本当に気が重かったのであった。沈んでいる私の肩にポンポンとマオリ民族らしき館員が「気にしなくていいよ」とでも言いたいそうな感じで叩いて慰めてくれた。

 だんだん帰国する時間が迫ってきて、ホテルのロビーに戻り、預かってあった荷物を引き取って空港へ出発した。空港に着いてみると、アメリカ系の航空会社のカウンターの全てが例のテロ事件の為に閉鎖され、大韓航空のカウンターの前には大勢の人が並んであって、本当に無事に帰国できるかなと初めて危険さを実感してきた。手荷物にはX線を通して厳しくチェックされていた為にあまり先に進まないのであった。何とか無事に通して、ほっとして、まだ会社の同僚へのお土産を買っていなかったので、慌てて免税店を見回った。そしたら、ニュージーランド版DVD『グラディエーター』が見つかり、ここでもやはり中身が空なので、店員にこれを下さいとジェスチャーで聞いてみたら、世話好きなニュージーランド人のせいか、「あなたは日本人でしょう。このDVDはリージョン4なので使えませんよ。分かるかな。」と言って、わざわざDVDの使用できるか出来ないかというリージョン分野つき世界地図を持ち出して「ニュージーランドとオーストラリアはリージョン4で、日本はリージョン2で、あとは・・・・」と一々とジェスチャーで説明される羽目になってしまった。もう時間がないというのに延々と説明されるなんて面倒くさくて私は「人にプレゼントするのだから、使えなくてもけっこうです。買いますからね。」とクレジットカードを出して買った。店員はあきらめ気味で包んで売ってくれた。日本人をバカして誤魔化して売る嫌な外国人の中では彼のような正直で親切は嬉しい限りである!
名残りを惜しみながらソウル空港行きの飛行機に乗ってニュージーランドに別れを告げた・・・。

2001年07月01日
私の勝手に配役ハリウッド版ベルサイユのばら


《前書き》
前に『クイック&デッド』と『ベルサイユのばら』の共通点をちょっとだけ取り上げましたが、今回は俳優の年齢を無視して、私のイメージで勝手に配役したいと思います。あくまでも遊びですので、真剣になさらないで下さいませ。(確かにフランス映画で『ベルばら』をやっていたけど、今一でした。)

《配役》※『ベルサイユのばら』のキャラクター→ハリウッド俳優
★オスカル→シャロン・ストーン(『クイック&デッド』のエレンが適役だった。金髪で美女でセクシーだから。)
★アンドレ→ラッセル・クロウ(長髪によく似合うから。カツラではなくて茶髪をリボンで束髪にして。シャロン扮するオスカルと絡みをやってもいいわ!)
★マリー・アントワネット→シャーリズ・セロン(金髪美女だけど、頭が弱いそう。何をやっても花になるから。)
★フェルゼン→レイフ・ファインズ(美形だから。TV版『アラビアのロレンス』でも品が良さそうだった。)
★ルイ16世→フィリップ・シーモア・ホフマン(『マグノリア』で気やさしい看護人がはまり役だった。おたくっぽい雰囲気があるようなので。)
★ルイ15世→ジャック・ニコルソン(私生活でもモテモテなので。)
★デュ・バリー夫人(ルイ15世の愛人)→モニカ・ベルッチ(『マレーナ』では町一番美女で清純だったけど、悪女にも似合いそうなので。色っぽい肢体や唇を見てイメージぴったりでは・・・)
★ロザリー→レイチェル・ワイズ(『輝きの海』の素朴な美しさを買いたい!)あるいはウイノナ・ライダー(『ドラキュラ』『エイジ・オブ・イノセンス』コスチュームに良く似合っていて、可憐さを買う)
★ジャンヌ→アンジェリーナ・ジョリー(『17歳のカルテ』でカリスマ性ぶりが良かったから。)
★ロベスピエール→デビッド・ドゥカブニー(大作『チャーリー』に出演したというのに気が付かなかったほど地味さがいい。)
★ポリニャック夫人(ロザリーの実母)→シェール(歌えるから。優しそうに見えて実は・・・)
★サン・ジュスト→ジュード・ロウ(死の天使と呼ばれるから、似合いそうだわ!)
★ベルナール(黒い騎士)→ケビン・スペイシー(ラッセルファンになる前までは『L.A.コンフィデンシャル』ではラッセル・クロウと区別が付き難かったので。綺麗な鼻立ちなので覆面に似合いそう!)
★アラン→ジョシュ・ハートネット(『パール・ハーバー』では、アホ臭いベン・アフレックよりもずっと素敵なので。)
★ルイ・ジョゼフ殿下(第1王子)→ジェイク・トーマス(『ザ・セル』『A.I.』の美少年)
★ジェローデル→ジェレミー・アイアンズかカブリエル・バーン(『仮面の男』では、二人とも年取っているとはいえ、美形なので。)
★シャルル→ハーレイ・ジョエル・オスメント(泣かせるのが巧いので)
★ ジャルジェ将軍(オスカルの父)→クリストファー・プラマー(『サウンド・オブ・ミュージック』で子沢山のフォン・トラップ大佐役がとてもはまり役だったので。『インサイダー』で生意気そうなジーナ・ガーションを叱りつけたので、シャロン扮するオスカルとやりとりを見てみたい。)
★女帝マリア・テレジア(マリー・アントワネットの母)→ジーナ・ローランズ(本当はジュディ・デンチがいいなあと思っていたけど、いつも女王のものばかりで見飽きた。四六時中妊娠しながらしっかり国を統治できたので、慈悲深いそうな顔がいい。『グロリア』『愛と栄光への日々』『ナイト・オン・プラネット』『私の中のもうひとりの私』など。)
★ニコラス(ジャンヌの相棒)→ジョージ・クルーニー(エッチっぽくて頭が弱いそうな男に似合いそう。)
★ジャンヌの母→イサベラ・ロッセリーニ(アンジェリーナ扮するジャンヌの母親役に似合いそう。巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督と大女優バーグマンの実娘なのに、庶民っぽい。)
★シャルロット・ド・ポリニャック(ロザリーの父親違いの妹)→ケート・ハドソン(『200本のたばこ』『あの頃ベニー・レインと』お嬢様育ちだけであって品があって感受性が強そう。)
★ディアンヌ(アランの妹)→アリシア・ウイット(『砂の惑星』のポールの妹、『陽のあたる教室』確かにジョシュ・ハートネットより3つ年上だけど、無視しちゃいます!)
★オスカルの母→アン=マーグレット(元祖セクシー女優ということで・・・。『エニイ・ギブン・サンデー』)


《後書き》
もしも本当にハリウッドで私の配役どおりだと、おそらく配給映画会社が倒産するでしょう。オスカー候補やオスカー俳優や大スターばかりなので、ギャラが天文的に膨大になるでしょう。漫画とはいえ、本当にゴージャスな設定なので、映画も出来たら、華やかにしてほしいなあと思いました。

2001年05月27日
目撃した舞台裏のワイガンド博士


 自分で手話通訳者を手配したので、世界禁煙デー記念特別講演会が開始される前に会場の担当者と打ち合わせに受付に到達しなければなりませんでした。受付に行ってみたら、後ろには既にワイガンド博士が立っていました。他に講演するドクター.Leanne Rileyという女史と何かと打ち合わせしてたようでした。私はそれを見て、「わあ!もういらしたのね、映画パンフの写真やDVDの特典で見たよりも実物の方がずっとハンサム!まだお腹が出ているけど、二重顎が消えていてちょっとスリムになっていらして白い顎鬚が生やしていて、ますますラッセル様の演じたワイガンド博士と瓜二つだわ」と心の中で叫んでしまいました。映画「インサイダー」のワイガンド博士の家での気取らないファッションを見て(世界最大タバコ産業の研究部門の副社長を務めるのだから、かなり高収入のはずなのに家ではあまり贅沢せず質素さ。引越しする事になり泣く妻を慰める時や夜中に侵入される怪しい人物を探す時の使い古した服)きっと気さくな方に違いないと確信出来たのですが、やはり思った通りで魅力的な人柄でした。しかもカリスマ性があります。講演会が始まる前に私がトイレの為に行った後、またワイガンド博士を見かけました。女史がお手洗いに行きたがっているらしく、ワイガンド博士が柱に貼ってあった「女子手洗い所」を人差し指で指して読んで、彼女を手洗い所へ案内してたようでした。本来ならスタッフが案内すべきかもしれませんが・・・。それを見て、やっぱり日本語出来るんだ!でも、もしかして本当に巧いとは言えないのでは・・と勝手ながら想像してしまいました。手話通訳者の手話を見易くするために、舞台のすぐ前の席に移動して座ってみたら、同じ列の席になんとワイガンド博士が座っていました。本当はサインを強請りしたかったけど、禁煙デーの集会なので、自粛しなくちゃと思い遠慮して姿を眺めるだけに我慢しました。結局、手話通訳者が十分に聞き取れなくて2階席のところに移動して、遠ざけてしまいましたが。

2001年05月16日
手塚治虫初期作品映画化「メトロポリス」完成披露試写会に参加して


 2001年5月16日、ル・テアトル銀座(「2001年宇宙の旅」がニュープリントとして上映されたところ)にて私の長年待望していた「メトロポリス」完成披露試写会を観てきました。鉄腕アトムの原点だと言われる女性型アンドロイドの物語です。今にあるアトムに元々女性型ロボットだったんだという名残があります。睫毛が女性っぽいなのがそのせいでもあります。手塚治虫先生は本当はアトムは女性型ロボットにしようと描いてみたけど、当時の編集者さんは小年漫画向けのものなので、女性では駄目だと止められて男性に書き直したというエピソードが残されています。(手塚治虫のエッセイ集より)

「メトロポリス」という題名は確かに無声映画のフリッツ・ラング監督作品「メトロポリス」から頂いたものですが、あの時の手塚治虫はまだ未見で写真を見ただけでイメージを膨らんで描いたので、内容はまったく別物ですが、何故か偶然にもそっくりでした。
戦後の日本の少年を熱狂させた手塚治虫の初期時代3部作のひとつで、有名な漫画だそうです。「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」です。3つとも映画の題名と同じですが、それらも当時ではまだ未見だったそうです。(少年たちが夢中だったんだと状態を詳しく描いているのは藤子不二雄Aの「まんが道」です。)また頭書きが長くなってしまって失礼致しました。

本題に戻ります、脚本は世界の"大友克洋"が担当し、監督はかつて手塚治虫の下で「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」を演出して「幻魔大戦」「さよなら銀河鉄道999」などアニメ名作を作り出したりんたろうによって、製作5年かけて今日にやっと完成披露試写会が行なわれました。マスコミ関係、映画関係、著名な方々が多くいらしていました。その中になんとなんと私の憧れの漫画家大友克洋氏がいらしていました。しかも目の前に4回も通り過ぎており、もう感激してしまいました。余談ですが、「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督は大友克洋の熱烈なファンで有名です。「ターミネーター2」「タイタニック」「エイリアン2」の中にも大友克洋の「アキラ」と「メモリーズ」から多く引用しておりました!!!ラッセル・クロウ様の「バーチュオシティ」の中にも大友の「アキラ」のパロディが多く見られ、おそらくその監督も熱烈な大友ファンに違いありません。
本当はサインを強請りしようと思ったけど、関係者が多くいらしてサインをもらえるような雰囲気ではないので、遠慮しました。でも、姿を拝見できただけでも幸せでした。何故か大友克洋氏は舞台挨拶に加えていませんでした。挨拶されたのは、監督りんたろう、声優井元由香、小林桂、岡田浩輝、音楽担当本田俊之でした。主題歌をやっていたミナコ"ムーキー"オバタが舞台の上で歌声を披露されました。あいにく私は耳が聞こえなくて楽しめませんでしたが・・・
「メトロポリス」を観て、正に無声映画「メトロポリス」のそのもので、リドリー・スコット監督のSF名作「ブレードランナー」とそっくりでした。絵タッチの方は手塚治虫の初期作品に忠実でとても丸っこくてモダンでした。建物のデザインも「スターウォーズ/エピソード1」や無声映画「メトロポリス」やテイム・バートン監督作品の「バットマン」(テイム・バートンも、やはり手塚治虫ファンだったそうだ)と思わせるモダンでとても美しかったのでした。手塚治虫漫画ではお馴染みのスターたちが多く出ていて感激してしまいました。ケンイチ、ロック(漫画版アラン・ドロンと呼ばれている美形で残虐な役柄が多い)、ヒゲオヤジ(「メトロポリス」ではまだ髭が黒かった!!!)、ハム・エッグ、ランプ等です。自分はロボットだと知らず超美形な女性型(というよりも中性的な)ロボット・ティマは本当に綺麗でした。髪をなびく時も細かく髪の毛が動いていて・・・
製作10億円をかけただけであって、とても芸術な作品が出来上がっていますが、何だか建物のデザインの素晴らしさばかりを強調していて、人物を描くのが弱いような気がして、非常に残念です。「幻魔大戦」や「アキラ」の方が遥かに面白かったです。観終わった後、回りをふっと見たら、なんと俳優・佐野史郎がいらしていました!!!やはり、マスコミの前に感想を述べていたようでした。

2001年04月25日
報告「惠子とKeiの二人展」


 昨日から開催されている漫画家で京都にある大学にてマンガ学科の教授をなさっている竹宮惠子先生の個展「惠子とKeiの二人展」に行ってきました。
トークイベントの参加とサイン会の整理券の申し込みを目的に神田神保町の北沢ギャラリーに行ったけど、マネジャーである竹宮惠子先生の妹さんに入口にて迎えられて、「トークショーに参加したいけど」と筆談で聞いてみたら、「今朝(24日)の受付開始して1時間で締め切りました。でも、サイン会の方はまだ整理券があります。」と言われました。さっそく「竹宮惠子のマンガ教室」(6月20日発売)の購入を予約してサイン会(4月30日)の整理券を貰いました。身振りで展示を見たいけど、いいですかと聞いてみて、どうぞと言われて入ってみました。会場の真中に置かれたソファーになんとなんと竹宮惠子先生ご本人が座っていらっしゃるではありませんか!!!!しかも会釈してくださいました。胸がドキドキしながら、展示を見回りました。会場の雰囲気がヨーロッパの家庭的な部屋風で竹宮惠子の漫画の世界にぴったりで、展示された絵も溶け込んでいて素晴らしかったんです。原画の販売も行なわれています。会談中だったお客様が去った後、竹宮惠子先生がどうぞと手招きしてくださって、私は図々しくもソファーに座って筆談でおしゃべりする事が出来ました。1対1で話し合うなんて本当に感激してしまいました。「おひさしぶりにお会いできてとても嬉しいです。素晴らしい展示ですね。感激してしまいました。こちらは元会員174番の○○○○です。」とメモに書いて見せたら、「この前はいつ?」と聞かれてました。「「エルメスの道」以来です。鎌倉プリンスホテル(漫画家生活20周年記念とファンクラブ解散パーティ)でも招きしてくださってどうもありがとうございました。阪神大震災チャリティーサイン会でもお会いしました。漫画「紅にほふ」のイラストを描いて下さいました。」と言ったら、先生は思い出したようでした。「「紅にほふ」は実話ですか?」と聞いてみました。「60%は実話、のこりは創作で埋めました。母と叔母のお話です。」と。
私「高知ですが、宮尾登美子の作品を連想してしまいました。」
先生「となりの徳島が故郷です。」
私「うちの両親も香川県出身です。」
先生「とくに満州のことが知りたくてマンガにしてみて、勉強しました。」
私「京都にある大学で世界初のマンガ学科の教授をなさっているそうで、とても素晴らしいと思います。」
先生「ありがとう。まだまだですけど(就職なさって2年目になる)マンガの描き方を自分の中ですべて解き明かしてみたいです。描き方の本はいかがですか?」
私「今、予約したばかりです。とても楽しみにしてます。新作はまだ描いていらっしゃいますか?」
先生「夏休みにしか仕事できない状況なので、8・9月に描いて、9・10月頃に載ります。2本描きます。10月末には京都でまた展をやります。」
私「最近、映画「グラディエーター」に嵌っていて、自分のHPではないけど、私のコーナーを作ってくださいました。それで、いろいろな人とパソコン上で知り合いました。竹宮惠子のファンが大勢いらしてびっくりしました。」
先生「パソコン上では思わぬところで同じファン同志が出会えて話も出来ていいですよね。」
私「ええ、志賀公江さんという方とはEメールの友達になってくださいました。」
先生「元マンガ家さんですね。マンガジャパンではお会いしてます。」
私「今日の展示の感想をインターネットに報告してほしいと頼まれました。話してもよろしいですか?」
先生「もちろん!」
私「本当にありがとうございました。新作を楽しみにしてます。サイン会にはまた来ます。」
竹宮惠子先生と握手して別れました。

2001年02月24日
母の解釈(「グラディエーター」と「インサイダー」考察)


うちの母は「グラディエーター」の鑑賞は映画鑑賞1回とDVD鑑賞2回、「インサイダー」ビデオレンタルとDVD鑑賞各1回だけなですが、解釈がなかなか興味深いので、書きたくなりました。反論があるかもしれませんが・・・

≪グラディエーター≫
マキシマスの故郷での妻子の映像は2年264日前に別れた時の姿のままである。息子が近衛兵たちに殺されるシーンもマキシマスの頭の中にあったイメージにすぎないである。つまり妻子の映像は幻想なのだ。現実になったのは、マキシマスが鼻水を垂らしながら妻の足を触る時である。その証拠に焼かれ吊るされた息子の背丈が8歳らしくなっている。幻想の中の息子は(「ライフ・イズ・ビューティフル」に出た名子役)背丈をどうみても小さ過ぎて6歳に見えるって。(私の意見はじゅうばこ様のおっしゃったように撮影の費用をケチって手抜きみたいなものだと思ってたけどね。具体的な事は「グラディエーター10倍楽しむ方法」にある。)

≪インサイダー≫
ワイガンド博士の妻は夫の解雇に対して「これからどうするの? 医療保険は? 医療手当は? 車や家のローンの残ってるのよ」とお金の心配ばかり。それがワイガンド博士を追い詰めたのだ。もし「まあ、何があったの。今まで一人で苦しんでいたのね。気が付かなくてごめんなさい。」と言ってたら、展開が変わるかもしれない。極貧生活の覚悟の上に夫を支えていれば良かったのだと。内部告発もスムーズに進めたかもしれないって。妻はお見合い結婚なので夫を愛していないのだ。つまり妻はお金持ちのワイガンド博士を見初めたから。(本当にお見合い結婚なのか定かではないが。私はその妻が人間臭くて現実っぽくて分かり易いと思うが。)プロデューサーのバーグマンの妻が同志という感じで、素晴らしい人だ。ワイガンド博士はこういう妻だからこそ、何も告げず、いきなりニュースキャスターとテレビプロデューサーと会わしたのだ。その他の説得方法を思い浮かばない。だから、別れてしまうのも無理もない。

2001年01月01日
新世紀への賛歌


このテーマは本当は去年中に書くべきでした。ラッセル・クロウばかり夢中な為に遅れてしまいました。日本テレビの「知ってるつもり!?」でチャップリンと手塚治虫の特集をやっていて、うんうんと相打ちしておりました。

「チャップリンは予言者でもある!」

さっきスタンリー・キューブリック監督ばかり書いたが、私のもっとも尊敬する人の一人はチャップリンです。(もう一人は手塚治虫)
スティーブン・スピルバーグ監督はスタンリー・キューブリック監督の事を誰を真似た事もなく独特な素晴らしい映画を作ってきたんだと称えておりましたが、私はちょっと待って!と言いたい気持ちです。スタンリー・キューブリック監督の作品群を何回か観てるうちに、その監督にも先輩がいたんだなと気が付きました。それはチャップリンです。淀川氏がもしも生きていたら、おそらく指摘したと思われます。

★チャップリンとスタンリー・キューブリックの共通点

☆常に社会への風刺の姿勢を忘れていない
チャップリン「担え銃」第一次世界大戦の過酷な軍隊生活への批判
      「街の灯」トーキー映画への批判 
      「モダン・タイムス」機械社会への批判
      「黄金狂時代」ゴールデンラッシュ時代への批判
      「独裁者」ヒトラーが率いるナチ党やファシズムへの批判
      「殺人狂時代」戦争による大量惨殺への批判
スタンリー 「突撃」第一次世界大戦の矛盾さ
      「博士の異常な愛情」冷たい戦争や核戦争への批判
      「フルメタル・ジャケット」ベトナム戦争への批判

☆誰よりも時代に敏感で、先駆者でもあった
チャップリン「モダン・タイムス」監視用テレビ等
      「ニューヨークの王様」テレビCM、美容整形手術ブーム
スタンリー 「2001年宇宙の旅」機内テレビ、宇宙食、テレビ電話等
      「ロリータ」ロリ・コンという言葉を流行った
      「時計じかけのオレンジ」少年犯罪増加、奇抜なファッション

☆退廃なシーンも得意である
チャップリン「巴里の女性」上流社会の酒池肉林のそのもの
      「街の灯」花売り娘は娼婦とも言える
      「キッド」夢の中で可愛い天使が足をチラッと見せる
      「サニー・サイド」夢の中の踊る妖精たちの服装はとても官能的 
      「殺人狂時代」雨に濡れた女性は色っぽい
スタンリー 「ロリータ」少女への欲情の妄想
      「アイズ・ワイド・シャット」セックス秘密集会や貸衣装屋の娘の見せた色目や娼婦、
                    妻の不貞の妄想
      「時計じかけのオレンジ」レイプ、聖書の中での性描写を妄想する、
                  老女への暴力のときに見せたサブリミナル
☆イギリス的な皮肉を愛してた
チャップリンはイギリス生まれなので、ブラックユーモアを愛好するのは当然だが、スタンリーはアメリカ生まれのくせに何処かイギリス的であった。「アイズ・ワイド・シャット」の脚本家はイギリス人だった。スタンリーは飛行機嫌いな為に死ぬまで二度とアメリカに踏んでない。

☆完全主義である
チャップリンはカットと叫ぶまで、数十回も撮り直した。「街の灯」の盲女を演じた女優を自信喪失まで追い詰めたほどであった。音楽から編集まで手を出し、細かくチェックした。
スタンリーも「2001年宇宙の旅」の完成後に設計図を燃やして捨てた。(情報源は友人より)脚本家に何回も書き直させた。スーパースターであるトム・クルーズを捕まえて3年半も取り掛かったのである。(トムはオファーをすべて断り、頑張った。)美貌女優であるニコール・キッドマンを真っ赤でめちゃくちゃな顔に変えるまで泣かせた。「時計じかけのオレンジ」の日本の映倫に引っかかり、怒りから自ら処理した。日本語映画字幕を英訳してチェックしたという話は有名である。